こんにちは。まむです。11月ですね!ニューヨークはかれこれ2ヶ月ほど続いていたパンプキン商戦も終わり、ハロウィンムードが一気になくなって少し疲れ気味の雰囲気が漂っています。でもここからはサンクスギビング、ブラックフライデー、クリスマスと怒涛の冬イベントが続くので、疲れている暇はないそうです。それらが全部終わると抜け殻になり、ますます寒くなり、鬱になるそうです(先輩談)。でも今年のハロウィンはめっちゃくちゃ暖かくて、なんなら夏なの?って感じの気候で、息子とアイス食べました。笑 ハロウィンはアメリカで経験できてよかったです。今度書きます。
今日の話題は、アメリカ生活3ヶ月目にして、稽留流産を経験した話です。このブログはエンタメダイアリーですが、今日は少し暗い話題になることをお許しください。というのも、なかなかつらい1ヶ月を過ごしました。その間、なんども経験談をググって過ごす日々でしたが、アメリカで流産を経験されている日本人の方はそれほどいないんですよね。いつも同じ方のブログにたどり着き、でもその方達が強く乗り越えていたり、詳細を記録してくれていることがすごく励みになりました。
そして、私自身が今回のことでどう感じたか、忘れないうちに文章に残しておくことも大切なことだと感じました。間違いなく人生における大事な経験だったと思うので。
エンタメ情報を見にきてくださった方は、次回の投稿までしばしお待ちください。
①妊娠発覚〜初診予約
もともと2人目も欲しいねという話をしていたので、渡米して3ヶ月が経ち生活も落ち着いてきて授かるといいねと話していた矢先、市販の妊娠検査薬で妊娠がわかりました。生理予定日の5日前からわかる、というものでしたが、その時点では陰性。でも生理が遅れていたので再度使用したら陽性・・・という流れでした。そこからアメリカで妊娠したらどうする?的なブログ記事を読み漁り、アメリカは妊娠10週頃まで初診を受け付けてくれないという情報を得て、とりあえずのんびり病院を探すことにしました。
病院を探す時の第一条件は、日本人ドクターがいること。英語にとにかく自信が無かったので、出産という一大事を英語で乗り切るなんてそんなしんどいことはできぬ、とそれだけは自信がありました。居住エリアの近くには有名な日本人ドクターがいて、また、たまたまこっちで知り合った方が妊娠中でその先生に罹っていることもわかったので、病院はすぐに決定。(保険適用ドクターであることもすぐに確認できました)
英語での電話予約はなかなかのストレス・・・ですが、なんとか初診予約できました。最終生理の開始日を伝えるのですが、妊娠8週の頭に予約することができて、思ったより2週早く病院にいけそうで安堵。体調も普通で、両親の訪問もあったので、初診を楽しみにしながらいつも通り過ごしました。(つわりのせいにして「無性にラーメンが食べたい!」とか言ってマンハッタンの高いラーメンを食べたりして、浮かれていました)
②初診:稽留流産の可能性を告げられる
病院は1時間程度で着ける距離であったものの、普段行かないエリアにありました。慣れないsubwayに苦労しながらなんとかたどり着き、受付ではなんども「Sorry?」と向こうの質問を聞き返しながらも、ようやく日本人ドクターに会えた時の感動はひとしお。そして、赤ちゃんの様子もやっと見られる・・・!とニコニコしながら先生の言葉を待っていたのですが。
「想定週数にしては、かなり小さいわね。もしかしたら、稽留流産かもしれない。でもまだ確定はできないから、来週もう一度来てね」
(今考えると本当に恵まれていますが)1人目の時は最後までなんの問題もなく順調な出産だったので、最初はあまり実感がわかなくて、呆然としてしまいました。そして、日本人ドクターはちょうど2週間バケーションに入るとのことで、もし流産だった時の処置の仕方を説明してくれました。これは大変ありがたいことだったのですが、それはつまり来週は日本人ドクターではなくアメリカ人医師にかからなければいけないということ・・・ここから私の苦悩の日々の幕開けです。
ぼーっと話を聞いていた私でしたが、最後にドクターが優しい言葉をかけてくれた瞬間に涙が出て来ました。悲しいのかどうかもわからなかったのですが、泣けてきました。感情がわからなくて、病院の近くの日本食レストランを探して、泣きながらカツカレーを食べました。
③2回目検診:小さい胎芽、心拍確認も弱いと言われる
次の週、金髪美女の優しいアメリカ人医師の予約が取れました。この日は夫も仕事を調整してくれて同席。英語面の不安はかなり減りました。ただこの日は私の予約の取り方が悪かったのか、超音波検査と医師の診察の2段階で予約していたようで。超音波検査の後、おじさん先生が「心拍が見えた。でもとても弱い。成長もあまりしていない。でも心拍が見えた以上、まだ可能性はゼロじゃない」と説明してくれたので、先生金髪美女じゃなかったね〜とか言いながら、夫と歩いて帰ろうとしていました。そうしたら電話がかかって来て、診察していないので戻って来てくださいと言われました。
まあ確かに血圧とか測らなかった。でもあんなにドクターっぽい人が来て結果までちゃんと話してくれたら、あの人が先生だと思うよね!とか言いながら戻り、同じ話を金髪美女からも聞き、この日は終わり。こんな些細な誤解や勘違いも、日本語だったら絶対ないのに。英語の不自由さをこの日も実感しました。
この頃はなんとなくずーーっと身体が重くてしんどくて、何をするにもやる気が起きない。。。みたいな感じだったのですが、母の勘?で、まだ赤ちゃんは生きているかもと感じていました。またこのモヤモヤを1週間抱えるのか、という思いもありつつ、まだ頑張ってくれていることはとっても嬉しかったです。まだ諦めちゃいけないと思いました。
④3回目検診:稽留流産確定
日本人ドクターはぼちぼちバケーションから戻ってくる予定だと聞いていましたが、とにかく予約が取れない。(受付の人のホスピタリティに差があり、電話を折り返すと言いつつ全くかかってこないことが多々)1週間後にどうしても診てもらいたかったので、またも金髪美女ドクターを予約しました。
この日は前回とは逆で、なんとなく赤ちゃんの存在を感じられなかったのです。なので、覚悟はしていました。結果は、想像通り「稽留流産確定」。心拍もなくなっていて、大きさも変わっていないと言われました。ここまで2週間、本当に長く感じました。生きていてほしい・・・と何度も願ったけど、でもきっと、これは赤ちゃんの判断なのだと信じて受け入れるしかないと思いました。頑張ってくれてありがとう。
そして、ドクターからは①手術②薬③自然排出の3パターンの処置方法を説明され、すでに日本人ドクターから②の薬服用を勧められてはいたので、薬を飲むことにしました。これもいろんな方のブログ体験談を読んだおかげですぐに決断ができたことの一つです(アメリカで手術を受けるのがなんとなく怖い、という理由もありましたが)
悲しい気持ちもありつつ、翻訳アプリを使いながら説明を聞くので必死でした。次は大丈夫よ、って簡単な英語で励ましてくれたことはわかりました。
⑤ミソプロストール服用〜4回目受診で処方ミス発覚
さてここからが、アメリカ医療の洗礼を受けましたという話。最近日本でも認可された?ミソプロストールという薬です。日本人ドクターによると、頬に入れる薬だよーとのことでしたが、処方された日の説明は8錠膣に入れるのよーとのこと。そして、CVSで受け取ったのは2錠膣にいれてねーとの説明書きのある袋。
いやどれ信じればいいんや!と思ったけど、2錠いれてねって書いてあって2錠袋に入ってたので、それを疑うわけでもなく、指示通りに服用しました。薬は2日に分けていれるのですが、1日目は結構強い腹痛がきて、寝るのもしんどかったのでソファで携帯見ながら痛みをごまかして乗り切りました。ここまではいろいろな体験談と同じだったので、この後2日目あたりから排出が始まるのか・・・と覚悟を決めてゴロゴロしていました。
2日目。全然お腹痛くないし、明らかに何も出て来ていない・・・薬が効かない例もあるのかな、そしたら手術確定・・・嫌だな・・・と思いつつ、出ないものは出ないのだからしょうがない。薬が効かなかったのか・・・
次の診察にて、おなじみ金髪美女ドクターに「まだ妊娠状態が続いている。薬が効いていないわね」と言われ、うんそうですよね。私もそう思ってました。
会話をする中で、「8錠膣から入れたのよね?」と聞かれ、「いや2錠です」と言ったら「それや!だから効かなかったのよ!!」となぜかスッキリした感じで「原因判明★」みたいなドクター。だって2錠しかくれなかったやん!と言いたいけどうまく英語で言えない私。そして、その処方ミスについては「I’m so sorry.」って何回か言われて、間違うこともあるのよ的な感じでゆるっと謝られる。そういうものなの・・・?と思いつつ、強く反論できない。とほほ
結局もう一回薬を試そう、となって帰宅。英語ができない日本人だからそもそも舐められてたのかな、とか、やっぱり医療のことだしもっと夫に頼っておけばよかった、とか、少ない方でよかったオーバードーズとかシャレにならん、とかその日はいろんな要素で自分を責めて、ただでさえ毎日超ブルーな日々だったのに、気持ちはどん底。+ちょっと怒り。
アメリカで生き抜くためには、全部自分で確認して、主張して、疑わないといけないんだな、と初めてちゃんとした洗礼を受けました。赤ちゃんには申し訳ないけど、もはや流産そのものの悲しみと向き合う余裕もなかった。とにかく早くこのモヤモヤを晴らしたい。
⑥自然排出〜5回目受診で日本人ドクターと再会
2回目の薬服用は夫が家にいる週末にすると決めて、気分最悪な中寝ようとしていたところ、夜中に腹痛&大量の出血。明らかにこれまでと違うものがたくさん出てきて、これが自然排出かなと思いました。夜中、血の量が多くて何度かトイレに駆け込んだので、次の日も予定をキャンセルして自宅で安静に。でももうその日はほとんど腹痛もなく通常通り過ごすことができました。そしてその直後くらいから、ずっと続いていたものすごい倦怠感がスパッとなくなり、何もしたくない症候群からも急に抜け出しました(一連の2週間は、本当に何もやる気が起きなくて、このまま一生ベッドの上で寝てたいと思うほどでした。ストレスとつわりの余韻だったのかもしれません)
薬の処方ミスが気になっていたので、自然排出後の受診は絶対に日本人ドクターにお願いしようと、改めて予約を取り直しました。ここでもまたたらい回しにされたり、当日来れるか?と聞かれて確認している間に今日はもう空いてないと言われたりと、とにかく予約が取れなさすぎてイライラがMAXでしたが、ついに素晴らしい電話受付の人にあたり(宝くじのよう)、その日の当日に日本人ドクターに診てもらえることに。
結果は、自然排出はしていたものの、少し内容物が残っているからとその場で処置してくれて、30分程度で終了。「予約が取れないのはこの病院あるあるなの、朝イチでかければとりやすいかも」「薬はいろんな量で処方するパターンがあるからね」と言われ、ああ日本語で話せることが幸せすぎる・・・と思って、悩んでいたことはどうでも良くなりました(実際どうでも良くないけど)
とにかく身体が無事だったことが確認できて、結果的に自然排出になったのは、最初の2錠がそれを促進してくれたのである!とまで思えるほどまで、精神状態も回復しました。
⑦アメリカでの稽留流産で学んだこと
1.病院の予約は簡単に取れないのが当たり前と思うべし
さらに日本人ドクターの出勤日なども加味すると、結局現地のドクターにお世話になることに。だとしたら遠くまで日本人ドクターを求めて通うのか、近い病院で英語で頑張るのかどっちがいいんだろうと考えさせられました。とは言え、最後の受診で日本語に相当救われたから、やっぱりもしまた次があったら、同じ病院を選んでしまうのかもしれません・・・
2.自分で全部確認すべし
これは上記記載の通りですが。曖昧なことをなんとなくok,okと言ってしまうことで、重大な何かが起きるかもしれないということをわかっておかなければいけないと思いました。
3.つらいことは人を成長させる
今回の一連で流産の悲しみはもちろん、不機嫌になったりして夫に迷惑もかけたし、自分のことを責めて本当にしんどいことも多くて、でもその分、いまその闇を抜け出して何気ない日常がいかに幸せか、息子が元気に生きていてくれることがいかに幸せかを心から実感しています。そして今後もし同じ経験をする人がいたら、していない人よりかは少し寄り添えると思います。これは駐在帯同初期のつらかったときの経験も同じで、やはりするとしないとで人間大きく変わることってたくさんあるんだなと思います。今まで守られた環境で、あまり大きな挫折もせず、チャレンジもせずに生きてきてしまった私なので、アメリカ生活は、「もっと人として成長せい!」という私に与えられた課題なのだと思っています。
毎日楽しそう、幸せそうに見えている人でも、きっと大変な過去やつらい記憶があるだろうし、人は見かけで判断できないし、日々いろんなことを乗り越えてこそ人生なのだと思いました。綺麗事っぽく聞こえるけど。
なので私はこの流産をなかったことには決してせず、でも頑張って生きようとしてくれた赤ちゃんの分まで、アメリカを、エンタメを今後も思いっきり楽しんでいこうと考えている所存でございます。
長文にお付き合いいただきありがとうございました。次回はBronx Zooのハロウィンに行った話を書こうかなと思ってます♬
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